好成績に必要なのは、読む力

たいていの親は、子供に学校で好成績を取ってほしいと望みますよね。

もっと大事なもの、健康な体とか、やさしい心とかがあるのを前提にしても、成績は良いに越したことはないと思いますよね。

 

私も中学から高校に至る間に何とか好成績を取れないものかと悩みました。

ある時、クラスで一番の成績を取っている友人にどんな勉強をしているのか聞いてみたことがあります。

彼が言うには、試験前に教科書の試験範囲をを3回読めば大体大丈夫とのことでした。

その当時は、なかなか信じられないものがありましたが、今になってみればわかることもあります。

 

生徒は初めて見る教科書を読み始めると、山奥の深い森の中に放置されたような気分になります。そこから、安全な場所(内容を理解する)に向かって歩き始めなければならないのですが、明確な標識などは無く、人が通った跡とか川の流れ、日の傾き方などを頼りに、道を探しながら歩くことになります。

この時、別の山であったとしても、山歩きの経験がある生徒なら、この道どうも迷いそうだからは、まっすぐ登ったほうがいいとか、小さな痕跡に気が付いて正しい道に戻るとかできます。

 

そして、学校の授業というのは、先生が生徒たちを引率して、森の歩き方を教えているのかと思います。

好成績を取るような生徒は、歩きながら周囲の様子を観察して、自分で歩くとき(試験など)迷わないように必要な情報を入手します。

大半の生徒は、ただ目的地に着くことだけを目標に、道がデコボコで歩きにくいとか、足が痛いとか言いながら、先生の後をついていくだけです。

 

このように、教科書を読むということだけで、必要な情報を得ながら理解に向かっていく生徒と、苦痛を感じながら手探りで読み終わるだけの生徒では、効果が全く違うのです。

 

小中高の教科書は、英語以外はすべて日本語で書いてあります。ということで、日本語の読解力を高めれば、教科書を読むことも苦痛ではなくなり、好成績を取れるだけの情報を教科書から得られるのです。

 

そのために必要なことは、小学校できれば低学年から、なるべく多くの本を読むことです。別に推薦図書や偉人伝である必要はありません。世界の名作などは長く読み続けられたということで、それなりの価値があるでしょう。多少読めない漢字や難しい言いまわしがあったとしても、それも学習のうちです。

読み終わったかとせっついたり、感想を言わせたりすると、負担になり読書の習慣から遠ざかってしまいます。ただ、本棚に本があって好きに読んでいいというのが理想の環境です。

 

あと、マンガについて

マンガは脳に入ってくる情報量が格段に多いので、苦労して理解に至るという訓練にはならないと思われます。

文字だけの本が山奥の森だとすれば、マンガはTDLのトム・ソーヤ島のようなものだと思います。楽しむのにはいいですが、山歩きの経験としてはカウントできないですよね。

川崎市児童殺傷事件2019.5.29について

川崎市登戸駅近くの路上で、十数名の通学途中の児童と大人二人が殺傷された事件につきまして、

 

ここのところ、路上で幼児や児童がひどい目に合う事故が多発していましたが、今回は意図的に殺傷された事件です。

犯人とされる岩崎容疑者は思想なきテロリストというべき、引きこもりが何十年にも及ぶという無職の50代男性で、この無職というところが大いに問題だと思われます。

小人閑居して不善をなすという通り、職業をもって生活に汲々としている市井の人々は新しい包丁を4本も買ったり、平日の朝っぱらから登戸駅の近辺をうろうろしたりすることもできない、ましてや小学生を刺したりするなど考えもしない。

そんなことをしても、生活が楽になるわけではない。と考えることで、多くの不善が未然に防がれていると思われます。(覚せい剤や麻薬、いわれなきクレームなど)

 

今回のような痛ましい事件を防ぐうえで、岩崎容疑者のような社会から取り残された人々を社会に復帰させるような取り組みがあってもよいのではないかと考えます。そのような状況になっているとすれば、親や家族はほとんど無力です。

今回の事件は、社会的に取り残された個人を、社会が放置していた結果だと言えると思います。

一歩間違えると統制社会=強制労働になってしまいますが、そおゆう人がどこの家にいるという情報を把握して、専門家がサポートする体制を整える。

行政は、あなたのことを心配しているよ。地域社会は、あなたと繋がりを持ちたいと考えているよ。と伝えるだけでも、何%かの人は社会復帰を目指そうとするのではないでしょうか。

そうした取り組みの直接の対応は、市町村が担うべきところだと考えます。

多くの公立小中学校が、市町村立であることを考えれば、ある人は中学生から引きこもっている、またある人は中学は卒業したけれど、進学も就職もしていない。といったような情報は、学校から市町村の担当部署に上げられ、追跡調査、面談、支援といった

対応を取ることによって、思想なきテロリストの予備軍を作らないことが必要だと考えます。

これは、各個人の引きこもる権利を損なうことになるかもしれませんが、それよりも小学生が安全に登校する権利のほうが重要だと考えます。

 

子育ての最終ミッションー集中治療室からの生還ーその後

前回までのブログで公開した通り、3月末に無事退院帰宅することができました。

 

そして自宅療養ですが、

1、今まで勤務していたアルバイトは、退職しました。職種的にちょっと無理だったので

2、まだ、時々クラッとすることがあるので、自動車の運転は自粛しています。

3、リハビリの延長で、家の周囲を歩いているのですが、500m程度で足がしびれてきます。最初は200mでしびれてきたので、回復してきているのかと

4、食欲は完全には戻ってません。入院前の7割程度でしょうか。

5、開胸した関係で重いものは持たないように言われています。また、腹帯を胸の位置で巻いています。

ちなみに、体の前側に大きな傷が4か所、内視鏡などの小さな傷は無数にあります。

 

退院前に、体力が戻るまで3か月はかかるよ。と言われたので、手術後2か月、退院から1か月ならこんなものかと、

 

通院は、最初は1週間おきでしたが、腎臓のほうで1か月おき、循環器は半年に一度でいいそうです。

ネットで調べたところ、大動脈乖離で最初の2週間を乗り越えられた患者の生存率は、5年で60%、10年で40%とのことで、思いの外低いので循環器の先生に聞いてみたところ、きちんと薬を飲み定期的にCTなどで診断していれば、そこまで低くないということです。

また、再度大動脈が乖離してしまう可能性や大動脈瘤になる可能性についても否定できないそうです。せっかく人工血管にしたのに納得がいかないような気がしますが、言っても詮無いことなのでしょう。

先生は、まず血圧の管理、半年ごとの診断で、まず10年後の生存を目指しましょうということでした。

 

この項はとりあえず終わりにします。